News
2020/02/05
槇村が八百屋になった理由5(八百屋という生き方を選ぶ)

その本(みんな八百屋になーれ)を読むとかなり深い事が書いてある。八百屋になろうと決めたのは飲みの席の勢いみたいなものもあったが・・・ナモ(長本)さんと山尾さんの2人で始まった。75年に開業して山尾三省さんは2年後に家族と屋久島に移住してしまう。その後山尾さんは詩人として有名になっていくのだった。
その本や詩も影響されて読んだりした。今に20年前を振り返り見るとこの言葉は20年経った今でも我々の精神からずれていないのだと思う。素晴らしい事ですよね。
以下 山尾さんの文面から
長本兄弟商会 の特徴をあげると、
もうけ主義ではない
「生産者からはぎりぎりに高く買い、消費者にはぎりぎりに安く売るというのが、商売としてではなく、生き方として八百屋を選んだ私たちの誇りでした。」(『聖老人』327ページ)
「…これを商売として万が一にももうけにかかったならば、その瞬間に私たちの仕事の足場が、がらがらと崩れてしまうことがはっきりしてきました。」(同329ページ)
・ 生産者・流通業者(同商会)・消費者の協力
「生産者と流通者と消費者の三者からなる品物の流れの輪を、三者で協力して最もよい形にしていく協同の仕事をしているのだという確信がありました。」(同331ページ)
・ 食品に関する意識改革
農薬を使った野菜は見た目はきれいだが、無農薬の野菜は見た目の点では劣る。「農薬を使わなければキャベツは穴があいて簾のように向こう側が透けて見えるようになるが、それでもよいか、と生産者は言いました。それでも売る自信はある、と私たちは答え、それでももちろん買います、と二千世帯の消費者の代表である能勢さんは答えました。」(同323ページ)
八百屋のノウハウを何もわからないヒッピーがここまでたどり着くまで大変な苦労だったと思う。本の中でもその大変さがひしひしと伝わってきた。
でもズキューンときたのが
「生き方として八百屋を選んだ私たちの誇りでした。」
である。生き方として八百屋を選んだ。これが大事な事
さぁ八百屋になるぞ!次回は早速八百屋になるべき具体的に進む話!
続く